重なる声:hibiku / 山村響「Love Magic〜素直になれないアタシが最高に可愛くなれる魔法〜」について
こんばんは、お元気ですか。みなさまにおかれましては今日も何かしようとするたびに失敗するのでは、ダメなのでは、無駄なのでは、などと特に根拠のないネガティヴな思考に捕らわれて鬱々としながらお過ごしのことと思われます。この手のいわゆる「バイアス」・「認知の歪み」の恐ろしいところは、「あっこれはバイアスだな」「特に根拠が無いな」と自覚してもいても消えてくれないということです。こうした呪いは、自分で自分にかけているだけのはずなのに、もう自分だけの力では取り除けない。だからこそ私たちには、他の誰かからの承認が、それもたくさん必要だと思われるのです。愛をください。
さて、こうした世界の住人たちには、次の詩は少しひっかかるものだと思います。
自分にかけてた 弱気なジンクス/この声で そっとほどく
自分で自分にかけた弱気なジンクスが、自分の声でほどけたらどんなに楽でしょうか。こんなこと私たちにはとてもできそうにありません。このような詩を書ける人は、きっと頭キラキラのマジカルハッピーポジティブ超人に違いないと思われるかもしれません。しかし、同じ詩が次のようにはじまっているとしたらどうでしょうか。
朝起きて アラームを止めて/調子悪い 耳鳴りやめて!/誰のせいでもないのに/誰かに全部 押し付けたくなる
この責任転嫁的な心のうごきは私たちにも非常に馴染みがあります。寝起きの不調さえ他人のせいにしたいというのは筋金入りのネガティヴ人間な気さえします。そして何より「素直になれないアタシ」をサブタイトルに冠するこの詩の作者は、どうやら異常に強靭なメンタルの持ち主だというわけでは無さそうです。では、どうして自分で自分にかけた呪いを自分の声でほどけるのでしょうか。答えは簡単で、それは自分の声であると同時に自分の声ではないから。彼女が声優だからです。
この記事では、「Love Magic ~素直になれないアタシが最高に可愛くなれる魔法~」(以下「Love Magic」)という曲について気づいたことを少し書きたいと思います。作詞と歌唱は、声優の山村響さんのアーティスト名義であるhibikuさん、作曲はヒゲドライバーさんです(以下敬称略)。全曲がPVつきで公開されているのでぜひ一度聞いてみてください。なお以下で楽曲の時間を指定する時はこのPVの時間を指定します。
すぐわかるように、この曲は声優というお仕事について歌った歌になっています。「“hibiku”としての声優”山村 響”へ向けたメッセージソング」*1と紹介されたりもするこの曲は、アーティストとしての、いやむしろ「一人の女性としての」*2hibikuが、声優としての自分自身について歌った歌だと言えるでしょう*3。
アーティストでもあり声優でもあるhibiku/山村響の声は、一方ではもちろんhibiku本人の声であると共に、他方では声優山村響が演じてきたキャラクターたちの声でもあります。この声の二重性(あるいは多重性)は、アーティストhibikuがhibikuとして歌っている限りはあまり目立ちませんが、彼女が声優としての自分自身について歌う「Love Magic」のなかでは、様々なかたちで現れてくることになります。一番分かりやすい例は、「こんな声だってできちゃいます!」という部分でしょう(1:55)。声優として演じられる声の引き出しの多さをアピールするこの詞をhibikuが歌うとき、声優山村響が、たしかに彼女には珍しい少年風の声で「こんな声だって!」と重ねてきます。本人の声とキャラクターの声が文字通り重なるのです。
声の二重性をさらに感じさせるのが、途中に挿入されたセリフパートです(3:10〜)。このパートでは、山村響がこれまで実際に演じてきたキャラクターたちを彷彿させる声で、まさにそのキャラクターたちを彷彿とさせるセリフが、次々と飛び出してきます*4。アーティストhibikuの楽曲の中で、声優山村響が演じたキャラクターの声が聴こえてくる。これだけでも声の二重性を感じさせますが、しかし話はここで終わりません。このセリフパートをよく聞くと、それぞれのキャラクターの声で発せられるセリフに対して、常に同じささやき声(つまり無声音)で同じセリフを発する声が、慎重に重ねられていることに気がつきます。
つまりここでは、同じセリフをキャラクターの声と本人の無声音で喋らせて重ねるという技法が使われているのです。一方でキャラクターの声を聞かせつつ、他方で同時にそのキャラクターに声をあてている本人の声も、聞かせないようにしつつ、聞かせる。つまりこの技法は「キャラクターの声の背後には声優の存在が隠れている」という声優にかんする基本的な事実を、音のレベルで表現しているのです。
自分の声が、自分の声であると同時にキャラクターの声でもある。そんなhibiku/山村響の声の二重性と、「声を重ねる」という技法のあいだには、さらに複数個所で関連があるように思えます。たとえば、「捨てる役あれば拾う役ある!」という部分(2:02)。オーディションに落ちつづけてもめげずに次に向かう決意を表現したこの詞を歌うhibikuの歌声は、「拾う役ある!」の部分だけ声が二重になっています。ここに、彼女をきっと拾うだろう未来のキャラクターの声を聞くことは、きっと考えすぎではないはずです。
最後に、冒頭で紹介した歌詞の話に戻りましょう。「自分にかけてた 弱気なジンクス/この声で そっとほどく」でした(3:28)。自分で自分にかけた呪いは自分では解けない。このことを踏まえれば、まさにこの歌詞自体が、自分の声が同時にキャラクターの声でもあるhibiku/山村響にしか書けないものだと言えるでしょう。しかしさらに「声を重ねる」という技法に注目すれば、「Love Magic」の音楽はこの歌詞の説得力を何倍にも増していることがわかります。そう、「ほどく」の部分で、やはり声が二重になっているのです。そこでは本当に、一人の声が同時に二人の声であって、そしてそのもう一つの声で呪いがほどけていくのです。
さて、けれど私たち自身は声優ではありません。あいかわらず私たちは、自分の声で自分の呪いをほどくことはできないかもしれません。それでも私たちは自分の中に、自分のものではない多くの声を響かせることができます。それは肉親や友人や同僚の声かもしれませんが、もしかして私たちにとって大切なのは、たくさんのキャラクターたちの声であるかもしれません。そうした声が自分の中に響いてくるかぎり、明日ももう少し頑張れるような気がするのです。ね、ニーナちゃん。
えっ、こんな素敵な「Love Magic」の音源はどこで買えるのかって!? お目が高い! 収録アルバムのamazonURLを置いておくのでじゃんじゃん入手してくれよな!!!! 「Love Magic」以外の曲もいい曲ばかりです!!!!
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*1:https://news.mynavi.jp/article/20180521-633937/
*2:http://live.nicovideo.jp/watch/lv313528051でのゆよゆっぺさんの発言から。ただし記憶を頼りに引用しているので正確ではないかもしれません
*3:私はこの手のいわばメタ声優コンテンツにはあまり詳しくないのですが、「アーティストとしてのhibikuが声優としての自分自身ついて歌う」『Love Magic』は、たとえば「声優としてのイヤホンズが声優としての自分自身について歌う」『それが声優!』などと対比できると思っています
*4:どのキャラクターかは次の記事で解説されています。http://www.koepota.jp/news/2018/06/25/0702.html