柑橘類さんのブログ

ひなろじを見たりします

寅さん全部観た 附:ロリコン映画としての『男はつらいよ 奮闘篇』

 映画「男はつらいよ」シリーズ50作をすべて観ました。去年の暮れから今日まで6ヶ月に亘り、時間にすると約85時間くらい寅さんを観ていたみたいです。 

 主要キャストや舞台を変えずに、1969年から1995年まで半年から1年ごとに撮り続けて来たシリーズだけあって、一作一作にその当時の日本の様子が封じ込められています。そのため、連続して見るとまるで一つの家族を中心として日本の戦後史を早回しで目撃しているような、とても不思議な感覚になりました。山田洋次監督は、このシリーズは全体として1本の長い映画を撮ったようなものだと言っていますが、それも頷けます。

男はつらいよ』強さランキング

 早速ですが、自分が作成した「男はつらいよ』強さランキング」を発表します。じゃん! 

Tier1: 7


Tier2: 17 > 25 > 48 > 28 > 5 > 34 > 39 > 2 > 11 > 23 > 21


Tier3: 10 > 32 > 16 > 33 > 43 > 24 > 29 > 13 > 26 > 15 > 47 > 18


Tier4: 47 > 40 > 1 > 6 > 46 > 8 > 42 > 36 > 44 > 31 > 27 > 20 > 38 > 30 > 35 > 9


Tier5: 12 > 22 > 37 > 50 > 41 > 19 > 14 > 3 > 4


 このランキング、実際のところあまり面白みのないものだと思います。流石に超有名シリーズだけあって各作品の評価はすでにかなり定まっていて、名作情報には本でもネットでもすぐアクセスできます。前評判の高い作品を観るときはかなり警戒していたのですが、実際観てみると上位にくる作品は流石にレベルが違いました。逆張りしてもそんなにいいことないですネ。

 もし寅さんシリーズ観たいけどどれがオススメ? みたいな関心があってこの記事を読んでいるかたがおられたら、すぐにブラウザバックしてもっと寅さん有識者のオススメを見たほうがいいです。

 ただ、トップに第7作『男はつらいよ 奮闘篇』を置いているのはかなり異例だと思います。客観的に見た時この位置づけは明らかにおかしいと自分でもよくわかるのですが、自分の視点からみたときこの第7作はあらゆる名作をおさえて圧倒的に感動的だったため、どうしてもトップに置かざるをえませんでした。ここではこの作品について少し感想を書こうと思います。

第7作『男はつらいよ 奮闘篇』について

www.cinemaclassics.jp
 「男はつらいよ」シリーズには、一定のパターン、定石がいくつもあります。その最たるものが、作品ごとに1人のヒロイン(寅さん界隈では「マドンナ」と言います)が設定されており、主人公の寅さんはその人に恋愛感情を抱くが、結局失恋に終わる、という話のパターンです。大雑把にいうと、「男はつらいよ」というシリーズはこの失恋話を手を変え品を変え毎回繰り返すことで成立してきたシリーズです。むかし知人に「「男はつらいよ」ってどれから見ればいいんですか?」と尋ねた時、「好きな女優さんがマドンナをしている作品から見るんだ」と言われた意味も、今ではかなりよくわかります。

 シリーズ50作でマドンナは総勢44人、多彩なキャラクターが揃っていますが、そのほとんどが寅さんから見ると「高嶺の花」的な人物です。といっても、生まれや育ちがとても良い人物ばかりでてくるというわけではありません。そうではなく、そもそもテキ屋稼業で全国を渡り歩くというヤクザな商売をしている寅さんからみると、一般的な(「カタギ」の)生活をおくっている女性はほとんどが身分不相応になってしまうんですね。だからこそ、同じく旅回りの歌手であるリリーが、最も寅さんと「対等」で「釣り合う」マドンナとして、繰り返しシリーズに登場してくることになります(第11, 15, 25, 48, 49作で登場)。

 それはともかく、つまり寅さんの恋というのはそのほとんどがいわば「上」を向いたものになっています。これは、寅さんが失恋しても映画全体がそこまで湿っぽくならない理由の一つです。寅さんの家族や映画の観客、さらには寅さん自身すら、失恋をうけて多少悲しみこそすれ、「うーんでもこれは仕方ないかな」とどこかで思えるように、はじめから設定されているのです。

 そんな中シリーズで唯一、寅さんが「下」を向いて恋をする作品があります。それが、第7作『男はつらいよ 奮闘篇』です。この作品のマドンナ太田花子は、集団就職で青森から関東に出てきたかなり若い女の子で、訛りが非常に強く、性格は温和で、また職を失っており、都市に疲れ田舎に帰りたがっていて、さらに軽度の知的障害をもっています。

 ここまで1-6作目のマドンナは、住職のお嬢さん、音楽家、旅館の女将、幼稚園の先生、美容師、小説家の奥さん、と来ており、みな年齢もそこそこで自立した立派な大人として描かれていました。なお寅さんはこのとき40代中ばくらいです。しかし花子(これは大変ステレオタイプ的なネーミングだと思います)は、こうした既存のマドンナたちとはまったく違う、圧倒的に「弱い」存在として寅さんの前に登場するのです。その描かれかたは、ほとんど子供です。

 寅さんは沼津にある小さなラーメン屋で花子と出会います。その後、花子は寅さんの実家がある葛飾柴又に寅さんを頼ってやって来て、寅さんのほうも花子が来ていないか心配で柴又に帰って来ます。花子と再会した寅さんは、自分が花子の面倒をみるんだと決意し、就職の斡旋をはじめあれこれと世話を焼きはじめます。その中で二人の関係は深まっていき、やがて花子は寅さんのお嫁になろうかなと口走り、寅さんはそれを真に受けてしまいます。このときの寅さんの幸せそうなこと! 

 マドンナが寅さんにプロポーズする作品はいくつかあるのですが、寅さんはそれをはぐらかしてしまうのが常です。自分より高いところにいる女性に恋をしているが、いざ結婚できそうになると手を引っこめてしまう。これは寅さんの根っからの臆病さであり、シリーズ後期では明確に咎められることもありました。しかしこの臆病さの裏返しで、寅さんは自分より低いところにいる女性となら実際に結婚してもいいと考える人物でもあるのです。

 さらに非常に印象深く思うのは、花子にあれこれと世話を焼いているシーンと、恋愛・結婚について二人が話しているシーンが、非常にスムーズにつながっていることです。自分の目から見ると、寅さんの花子に対する感情の中には、小さきものをいつくしんで世話を焼きたいと思う気持ちと、女性に対する恋愛感情とが、渾然一体となっているように見えます。そしてこれはぼくの考えでは、ロリータ・コンプレックスの症候のひとつです。おそらくこうした見方は山田監督の意図するところではなく、監督は、純真さ・素朴さを象徴する女性として花子を配置したのだと思います。しかし榊原るみ(当時20歳)の演技もあいまって花子の少女性が強調された結果、この作品はある種のロリコンを描いた作品に見えてくるのです。

 寅さんと花子の生活は長くは続きませんでした。寅さんの留守中に、花子の小学校時代の先生が青森からやってきます。この先生は花子が非常に慕う人物であり、花子は先生に連れられてそのまま青森へ帰ってしまいます。後からそれを知った寅さんは怒って暴れ出しますが、しかし、ああ、学校の先生! どう考えても、寅さんのように定職もなくふらふらしてどうしようもない輩よりも、立派な先生の方が、小さきものを守っていくのにふさわしいのです。この場面での寅さんと妹さくらのやりとりは、とても涙無しには観られませんでした。

寅次郎「ああそうかい! わかったよ! それじゃ花子は、俺みてえなヤクザもんのそばにいるより、その津軽の山奥のよ、ナンジャラ先生のそばにいたほうが花子は幸せだってそう言うのか!? ええ!? そうなんだろ! そうなんだろう!? はっきり言ってみろ! さくら! ええ!? そうなのか......?」


さくら「そうよ。お兄ちゃん、その通りよ......」

 寅さんはたまらず実家を飛び出して青森へ向かいます。しかしそこで見たのは、先生の小学校の業務を手伝いながら幸せそうに暮らす花子の姿でした。

 寅さんはそのまま青森で消息を絶ちます。旅先で寅さんの行方が分からなくなるのはよくあることですが、本作はここから異例の展開を見せます。失恋した寅さんは自殺するのではないかという疑念が家族のなかに生じ、さくらが寅さんを捜索しに青森に旅立つのです。

 「恋愛に失敗したら死ぬしかない」という発想はシリーズでたまに出てきますが、ほとんどは冗談の話です。上でも触れたように、寅さんはシリーズ中何度も何度も失恋しますが、寅さん自身も家族もそこまで悲観的にはならないのが通例です。しかし、今回は高嶺の花に恋して破れてまあ仕方ないね、という話ではありません。むしろ、これでダメならもう一生ダメなのでは......という悲愴な雰囲気が漂い、それが「自殺」という観念をかなり説得力あるものにしています。さくらがバスで青森をめぐるシーンでは、寒々とした景色がカメラに延々と写され、異様な緊張感が高まります。

 結局、寅さんは生きていました。さくらが乗るバスに寅さんがひょっこり乗り合わせ、無事が確認されます。

寅さん「俺、死んだと思ったか?」


さくら「冗談じゃないわよ」


寅「......死ぬわけないよな!」

 ところが、このやりとりでの寅さん役渥美清の演技は絶妙に含みを持たせており、寅さんが自殺を考えていなかったかどうかは巧妙にふせられたまま、作品は幕を閉じます。


 このように、『男はつらいよ 奮闘篇』には、ロリコン的な欲望、それが成就しない定め、死の気配、死ぬわけないという諦念と、ロリコンをとりまくどうしようもないモチーフの多くが非常に克明に描かれている、と観ることができます。ぼくはこのことにいたく感動してしまったため、この作品をシリーズで最も強かった作品として挙げるものです。「男はつらいよ」シリーズのなかではかなり異色の一作ですが、単体で観ても楽しめるほうだと思うので、ぜひ観てみてください。