柑橘類さんのブログ

ひなろじを見たりします

【日記】2020年4月23日 たけのこの話

 昼頃、散歩に出る。新居に越してからふた月が経とうとしているが、しばらくは仕事場と自宅を往復するだけの生活だったので、駅と本屋とスーパーマーケットと、引っ越しの翌日につぶれた文房具屋のこと以外、このあたりのことは何も知らなかった。最近はよく散歩をするので少しづつ様子がわかってきて、この静かな住宅街は自分にはちょっと落ち着きすぎている気もするけれど、そろそろこういう街に合うような暮らしをしてもいいのかもしれない。

 お気に入りの遊歩道沿いにはたくさん公園があるーー団地が近いからだーーが、どれも閑散としている。ただ、ひときわ小さい敷地に不釣り合いなほど巨大な桜が植わった綺麗な公園で、不思議な動きをしている人の姿を遠くからみとめた。近づいていくと、身長よりもかなり長い棒をぐるぐると振り回していて、どうも棒術の稽古をしているらしい。あるいは、殺陣の練習をしているのかもしれない。何度も何度も繰り返される型を横目で見ながら、その技が披露される遠くの日のことを思った。

 気が向いたのでいつもは通らない狭い道のほうへ入ってみる。すると、あたりには似つかわしくない大きなお屋敷があることに気づいた。はじめは何かの公共施設かと思ったのだけれど、厳重な警備がついていてどうもそうではなさそうだった。その場で調べてみると、どうも某有名会社の会長一族の邸宅らしい。ただこの会社は、ぼくが小さい頃にはかなり露出もあり経営も順調そうだったが、事件・不祥事などもあって最近は没落していると聞く。実際、最後に街角で店舗を見かけたのはいつのことだったかほとんど思い出せない。この豪邸も、いつまでここにあるのだろうか。

 もう少し歩いて行くと、思いがけず林が目に入ってきて、自然とそちらのほうへ足が向かった。どうもここは昔からの農家らしく、林は古い平家の周りをとり囲んでいた。ぐるっと回ってその家の入り口のほうまで来てみると、砂利敷の駐車場に、乗用車ではなく猫車が2台、その上にたけのこがどさっと置いてある。1本500円の値札付き。そういえば敷地の奥のほうには竹林もあったから、そこから掘って来たのだろう。ちょうど夕食の買い物をして帰ろうと思っていたから、今日の献立はたけのこで決まりだ。しかし、無人販売所なのだと思ってあたりを見回しても、どこにも料金箱が存在しない。かなり粘ったが、あんまり敷地の中に入ってさぐるのもためらわれたので、諦めて帰ろうとしたとき、少し遠いところから明らかに不審がり怒気を帯びた声が聞こえてきた。

「何か?」

「あっすみません、たけのこをいただきたいのですが」

 声を張って答えると、奥から老人が出てきた。

「ああそうですか、すみませんね」

「いえ、こちらこそすみません不審者みたいな動きをしてしまって」

「いえいえ、あれ、もしかして荒井さんのところのせがれかい?」

「いえ、別人ですが」

「あっそうか、似てたもんで、いや、まあ誰でもいいんだけどネ」。

 そんなやりとりをするとなんだか打ち解けた雰囲気になり、ちょっとした立ち話をした。立ち話、といっても3mくらい距離をとりながらの不思議な会話だったが、ぼくは対面で人と雑談するのはかなり久々だったし、多分向こうもそうだったんじゃないかと思う。新鮮なたけのこの見分けかたのこと、たけのこの茹でかたのこと、この街のこと、最近の状況のこと。話しながら、ぼくは自分でたけのこと糠を袋に詰め、代金を猫車の上においた。一本だけ買うつもりがもう一本おまけしてくれてーーぼくにはよく見分けがつかなかったが、これが一番いいやつだそうだーー結局ずっしり二本の大きなタケノコを抱え、急いで帰路に着いた。

 新美南吉の童話に「たけのこ」というのがある。まだ地面の中にいる小さなたけのこが、垣根にかこまれた竹やぶの外へ頭を出そうとしている。外は危ないから垣根の中にいるよう母親竹は散々叱るのだが、たけのこはそれを聞かずどうしても外へ行こうとする。外から聞こえてくる美しい音に心を奪われているのだ。そしてついに外に頭を出したたけのこは笛吹きと出会い、美しい音の正体は笛の音だったとを知る。その後立派な竹に育ったたけのこは、自ら美しく鳴る横笛になったというーー

 帰宅するとさっそくたけのこを茹でる。かなり久しぶりだが、実家では良く食べていたので勝手はわかっていた。たけのこの皮は、何枚むいても何枚むいてもなくならないように思えるが、やがては適当な時が来る。包丁で形を整えて、糠を入れて煮る。たけのこで頭がいっぱいで買い物に行きそびれたので鷹の爪はない。沸騰したら蓋をして、さらに1時間ほど弱火にかける。吹きこぼれないよう見張る必要があるので、台所に椅子を持ってきて鍋の様子を伺いつつ、読みさしていた柳田國男の『火のむかし』を開くと、2000年を超えるかまどの歴史が描かれていた。小さないろりから、周囲を土で囲んで火を守り、3連5連の立派なかまど、さらには持ち運び可能なこんろになるまで。どの火も、同じたけのこを煮たのだろう。

 茹であがったたけのこを早速切って、しょうが醤油で食べた。くりかえしまた新しき春の味。 
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白石晴香のおはなし千一夜第六夜(たけのこ 新美南吉)